アラフォー奥さんの頭の中

読んでも何の役にも立ちません

『高校生、災害と向き合う』

知人から「この本、良かったから読んでみて」といただいた本なのですが、長らく本棚に置きっぱなしになっていました。

 

高校生、災害と向き合う――舞子高等学校環境防災科の10年 (岩波ジュニア新書)

高校生、災害と向き合う――舞子高等学校環境防災科の10年 (岩波ジュニア新書)

 

 

全国で唯一「環境防災科」をもつ兵庫県立舞子高校の環境防災科10年の歩みをまとめたもの。

 

この本を薦めてくださった方には悪いのですが、大学ならともかく高校の「環境防災科」なんてところを卒業しても、その後全員が防災関係の専門家になるわけでもなれるわけでもないだろうに、なんだかなぁ・・・という先入観があり読まずにいたのですが、いやいや、これは読んで良かった。

 

【おおまかなあらすじ】

環境防災科の生徒たちは、授業の一環として、東日本大震災など被災地でのボランティアを行う。床下にもぐっての泥かき、仮設住宅での茶話会など。単に求められることを行うだけでなく、きちんと振り返り、反省し、数カ月後に同じ場所に戻ってきて、再度自分たちの行ってきたことが正しかったのか、他の方法はなかったのか振り返る。

普段の授業の中でも、防災、医療、福祉の専門家や、語り部として震災を語り継ぐ市民も講師として生徒たちに災害・防災について伝える。


ここを卒業する生徒の夢は様々。司書、美容師、農業、ドッグトレーナーなど防災とまったく関係ない職業を志望する子どもも多い。でも、それぞれ災害に備えることや命の尊さを感じ、社会のために自分にできることを考え卒業する。

 

 

最近「キャリア教育」という言葉を聞くけれど、私の世代にはそんなものが存在しなかったので、「就職に必要な資格を取得する」程度のイメージしか湧きませんでした。

 

しかし、人生とは何か、自分の与えられた命を使ってどんな世界・社会を作って行きたいのかを主体的に考える力をつけること、それこそがきっとキャリア教育なのだろうと感じました。そして、最初は冷ややかに見ていた(ごめんなさい)環境防災科の取り組みこそ、キャリア教育のモデルになるのではないかと思います。

断捨離と姑

言いたくないんだけど断捨離、あれものすごく迷惑なんです。

 

数年前。

70歳の誕生日を迎えた姑が「私ももう先はそんなに長くない。元気なうちに今流行りの『断捨離』をしようと思う」と宣言しまして、まぁこう言っちゃなんですが夫実家はガラクタに埋もれたゴミ屋敷寸前の家ですので、「お義母さん、そうですよね!断捨離、サイコーです!」と調子を合わせたのですが・・・

 

その後、我が家に送られてくるガラクタ、ガラクタ、ガラクタ・・・

 

「これ、買った時は高かったのよ~!」というバカでかい花瓶。(傘立て?!ってくらいの大きさ)

 

「若向きだから私にはちょっと着られなくて」というガンダム級肩パッドの入った真っ赤なセーター(胸に「ボンボン」がたくさんついている)。

 

「捨てるのはアレだし、でも着物は嫁子さん着ないでしょうし」ということでわざわざ仕立ててくれた着物リサイクルワンピース(中途半端なふくらはぎ丈。こちらもガンダム級肩パッド入り)。

 

「お土産でもらったんだけど置く場所もないし」と気味悪いフランス人形(夜中に歩きそう)。

 

「子どもが小さいうちは食器はすぐに割れるからね」と山崎パンまつりの中途半端な景品皿。(いらんし!)

 

最初こそガラクタを押し付ける姑に腹が立ったりもしましたが、年代的に捨てることに必要以上の罪悪感を感じているのだろうから、その罪悪感を薄めてさしあげることで徳を積んでいるのだと気持ちを切り替えて、夫とも相談してこっちでこっそり捨てることにしていたのですが・・・

 

昨日、姑から電話が。

 

「嫁子さん、今度そちらに遊びに行く時、例の着物リフォームワンピースで一緒にお出かけしましょうよ♪」 

 

あぁ、もう断捨離、大嫌い!

 

なんて言い訳しようかと考えるだけで今から頭が痛いです。

子どもから見た大人って?

始業式。

 

我が家の子どもたちの担任は他校から異動して来られた先生で、親としてはどんな先生なのか興味津々。当然、子どもたちに尋ねてみるわけです。

 

息子「う~ん、40歳くらいのオバサン。(私と同年代か。それにしても「オバサン」はやめなさい!)黒板の字が上手。(うん、それは重要やね。)」

 

娘「おばあさん先生だった。(定年間近の先生なのかな?)ちょっと怖い。(さすがベテラン!バシバシ指導してくださいよ!)」

 

と、子どもたちから担任の先生についての事前情報を得た上で、昨日、授業参観に行ってきました。

 

そうしたら・・・

 

全然違うやん!!

 

息子の担任は、どこからどう見ても平成生まれの、えくぼが可愛らしい女の先生。

 

娘の担任はおそらく私と同年代でおばあさんどころかおばさんでもなく、マダムという雰囲気を漂わせた美しい先生。

 

子どもの言う「オバサン」とか「お年寄り」なんて全然あてにならないと改めて感じるとともに、小学生から見ると私はどう見えているのだろう。オバサン?おばあさん?もしかして化け物?妖怪?!と恐ろしく感じたのでした。

 

1年生。

娘が小学校に入学した春。

 

学校が終わったら寄り道せず帰りなさいと毎日毎日伝えているにもかかわらず、毎日毎日どこかに寄り道して帰ってきて、毎日毎日「まっすぐ帰って来なさいって言ってるでしょう!」と叱り…という日々が続いていました。

 

ある日、普段は寄り道してもせいぜい4時には家に帰ってくる娘が5時近くなっても帰って来ない日がありました。

 

迷子?まさか誘拐?!

 

最悪の事態も頭に浮かびつつ、必死であちこちを探しまわりました。

 

近くのスーパー、公園、校庭・・・まさか車に轢かれて病院へ?!

こんなことなら娘を信用せずに毎日送り迎えすべきだった。後悔先に立たず。

 

夫にも早く帰って来てもらい、夫婦で探しまわり、それでも見つからずそろそろ6時。警察に届けなくては、と思い始めたその時。学区内の一番端っこにある公園で一人ブランコに乗っている娘を発見しました。

 

夫「こんな時間まで何やってるんだ!」

バチーン!娘の頬をたたきます。

私「どれだけお父さんとお母さんが心配したと思ってるの!」

娘、号泣。抱き合う親子。

 

しばらく号泣し、泣きやみかけたタイミングで娘を抱きしめて目を見て、

夫「お父さんとお母さんに心配かけたらダメだ。これからはきちんと寄り道せずに帰って来なさい」

ドラマにありそうな、ちょっと感動的な展開。

そこで娘が涙を拭いて一言。

娘「うん、それはいいねんけど、なぞなぞ出していい?」

夫と私「・・・orz」

 

 

この後、しばらく娘を小学校まで迎えに行く日々が続きましたが、1年生の2学期頃からようやく寄り道せずに帰ってくるようになりました。

 

長文でしたが、まぁ何が言いたいかというと、小学生のアホさは想像を絶するということです。今後も期待し過ぎずに成長を見守りたいと思います。そして、アホな子どもがいたら、地域の大人として見守ってあげなければとも思います。アホな子がまぁまぁ普通の大人に成長できるまで。

 

 

花見もしくはカンチョーの話

しょうもない話です。

大抵いつもしょうもないことしか書いていないんですが、今日は特別にしょうもないです。

 

先日、気心の知れた友人とその家族でお花見に行ったんですよ。

 

「友達の友達はみな友達」的なノリで(もしかして死語ですか?)、誰がもともと招待された人か、誰が勝手に(会費を払わず)参加している人か、誰にも把握できない老若男女国籍不明の30人ほどがワイワイガヤガヤ、桜の下で缶ビール片手にゆるく集っていたのです。

 

うちの息子と娘も連れて行っていたのですが、その場で出会った見知らぬ子どもたちと意気投合してはしゃぎまわっているから、まぁいいか、と遠目で見守りつつ大人同士お酒を飲んで語らっていたところ・・・

 

ふと気付いたら、我が愚娘が参加者全員に「カンチョー」をするという荒行を達成しようと奮闘しているではないですかΣ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

 

※一応解説しておきますが、「カンチョー」とは両手の人差し指で他人の肛門あたりを服の上からブスッとするアレのことですorz

 

何してるね~ん!!!

 

追っかけまわす母、逃げ回る娘。さながらリアルクレヨンしんちゃんの様相。

 

一気に酔いが覚めました。

 

大人たちは程良くビールで出来上がっていたので「うわぁやられた~!」とか「カンチョーって今の時代でもまだあるんや~w」と、比較的好意的(?)に愚娘の所業を見守ってくださいましたが・・・なんで、どうしてこれだけたくさんいる子どものうち、我が愚娘だけがこんな愚行を行っているのか、母には皆目見当がつきません(TT) あぁほんとすみません。

 

 

 

 

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これは、当日の花見を思い出して愚娘が作成し、玄関に飾った盆栽。あぁ、もうどうでもいいや。