アラフォー奥さんの頭の中

読んでも何の役にも立ちません

『いじめの直し方』

幸い我が家の子どもたちは深刻ないじめには、いじめっ子としてもいじめられっ子としても関わっていない(と思う)のですが、学齢期の子どもを持つ親にとってはいじめの問題は非常に気になります。

 

いじめの直し方

いじめの直し方

 

 

いじめに関する本やHP等はいろいろあるのですが、これはいじめを環境の問題ととらえて、いじめが発生する環境をいかに改善して行くかという視点から書かれており興味深かったです。

 

以下、備忘録。

 

  • せまい所に閉じ込めて強制的に仲良くさせる学校制度

→気が合わない人とは仲良くしなくてもいい。「関わらない」という選択肢もあるよね。

 

  • 人間関係の閉鎖性の問題

→一人ひとりが学校以外にもいろんな居場所を持つことが大事

→部活顧問の労働問題が問題になっているけれど、子どもが学校以外の居場所を持つためにも、放課後の活動は学校外で行う方がよいのではないのかな

 

  • いじめは犯罪であるという当たり前の事実

→暴力系のいじめは、診断書をもらって弁護士とともに警察にいく
→コミュニケーション操作系のいじめは、証拠が残りにくいので、どんな辛い目にあったのかを自分で記録していく

山下君と田中君(仮)

新学期になると子どもが学校から新しいクラス名簿を持って帰ってくるのですが、毎年「あれ?名字が前と変わってる・・・」というお子さんが学年に2,3人いるのです。

 

で、今年も息子が持ち帰った名簿を見ていると・・・毎日のように息子が一緒に遊んでいる友人の名字が変わっているのに気付きました。

 

このご時世、離婚や再婚も珍しいものではなくなってきましたし、もしかしたら相続税対策で親戚の養子になったのかもしれないですが、それはともかくアラフォー母の頭はガチガチに固まっているので、混乱してしまいました。

 

もしお友だちが急に家に遊びに来たらどうしよう。今まで「山下くん(仮)いらっしゃい!」と言ってたのに、急に「田中くん(仮)いらっしゃい!」なんて呼びかけたらなんかいやらしいよね。かといって、田中くんに変わったのを知ってるのに「山下くん、元気だった?」なんて話しかけるのももっといやらしい。

 

もしもデリカシーゼロの息子が「お前どうして名字変わったんだよ」なんてしつこくお友だちを問い詰めたりしたらどうしよう。ぼけ~っとした息子だからそんなことはないと思うけれど、でも事前に注意しておくべきだろうか。いや、変な先入観を与えることになってしまっては逆効果だ。

 

母がまだ発生してもいない問題で頭を悩ませていたところ、ふと気付くと息子が横でその友人に電話をしているではないですか。

 

「おぅ、山下?お前、なんか名字変わっとったな。それはそうと今から遊べる?」

 

あっさりしてる・・・(笑)

 

悩んでいたのは何だったんだろう。我ながら小さいな。そうだよね、名前なんか関係ない、今遊べるか遊べないかだけが彼らにとっては重要なんだ。

 

これくらいあっさりしてたら、ママ友間のめんどくさいゴタゴタなんて発生しないんだろうなと、小学生男子の単純さを羨ましく思った出来事でした。

ドラえもんと男心

小学生の春休みも終わり。

 

今年の春休みは忙しくてどこにも連れて行ってやれなかったので可哀そうな事をしたなぁと思っていたところ、「毎週火曜レディースデイ 女性¥1100」ってのが頭にピカーンと浮かんで、急遽子どもたちをドラえもんの映画に連れて行ってやろうと思ったわけですよ。

 

低学年の娘のほうはヤッターなんて無邪気に喜んでくれたのですが、今度6年生になる息子の方は

 

「え~・・・ドラえもん?」

ドラえもんだよ?あんた、昔TSUTAYAでDVD何枚も借りさせたじゃないの?)

 

「そんなのお母さんと観に行ってる所、誰かに見られたら恥ずかしいし。」

(何だと?!恥ずかしいとな?)

 

「僕いらんわ、妹と二人で行ってきたら?」

(え~!せっかく喜ぶと思ったのに!)

 

「その分お金だけちょうだい。」

(結局そう来るのね・・・)

 

というわけで、息子に500円玉を渡して、娘と二人だけでドラえもんを観てきました。

 

(まぁ、500円くらいで喜ぶところがまだまだ子どもだな)

 

分かっちゃいたけど子どもはいつまでも子どもじゃないんだなぁ。娘はドラえもんの映画にいつまで付き合ってくれるのだろう。

 

悔しいから、娘と二人でランチに回らないお寿司をお腹いっぱい食べ、映画の後にカフェでパフェを食べてきてやりました( ̄^ ̄)エッヘン!

 

どうだ羨ましいだろう、息子よ!

 

『昭和の結婚』とうちの姑

 『昭和の結婚』。歴史資料として非常に面白い本。

昭和の結婚 (らんぷの本)

昭和の結婚 (らんぷの本)

 

明治の女性たちは、見合いさえせず、夫となる人の顔も知らないまま、親や親戚の命令で嫁いでいた。祝言を挙げると、次の日からは労働力として牛馬のように働く。

 

昭和時代にはさすがにそこまでの人権無視は少なくなったものの、封建的な家制度の下、嫁は夫の世話を焼き、舅姑を立ててひたすら尽くすことが当たり前だった。

 

当時の雑誌等の資料も豊富に掲載されていて、特に『主婦の友』の「花嫁さんの新家庭心得画帳」なんて「良人のお目覚め:お寝坊旦那様を穏やかに親切にお起こしさしあげ」てから「一家の和合と夜の団欒:ふけゆく夜を手持無沙汰にせぬように、良人の語る世間話や主義主張、さては将来に対する抱負など、すべて熱心に聞く、聞き上手な妻であるよう努力いたしましょう」まで一日のスケジュールを掲載して新婚花嫁の心得を説いており、当時の女性はどこまでこれを本気にしてたのかしらと想像するだけで面白い。

 

で、あ~面白かった!と本を閉じてから、ふと思ったのですよね。

 

この時代からそんなに時は経っていないのだ、と。

 

私の姑は、代々家業を営んでいる由緒ある(と本人たちは思っているけれど、特に「由緒」にメリットがあるわけでもない)家に嫁ぎ、完全同居で、舅姑に尽くし、夫を支えて、夫以上に家業に専念してもあくまでも「裏方」扱いで給料をもらえたわけでもなく、という状況で50年以上過ごして来た人なのですよね。

 

姑は「時代が違うから」と言って私たちに同居を求めたりすることもなく、誰の悪口も言わず、婦人会や老人会で役を務めて近所のお友だちと旅行に行ったり、いろんな手作り常備菜をお裾分けし合ったりと「田舎のオバちゃん」的生活を明るく楽しく謳歌しているように見えるのですが、

 

半年前、姑の姑(私の配偶者の父方の祖母)が亡くなり、葬儀を終え、斎場から帰って来た時に、ぽつりと

 

「あの人(姑の姑)と同居して50年、楽しいことも嬉しいことも一つもなかった」

 

とつぶやいたんですよね。

 

あの時は背筋が凍りました。

 

今でこそ誰かが結婚すると聞くと「おめでとう!お幸せに!」と自然と口から出てきますが、一昔前までは、特に女性にとっては、結婚とは悲しく暗い「凱旋なき出征」だったのかもしれないですね。

 

あ、私の実母ですか?

この人は新婚早々姑とケンカして、それ以来夫の実家に2度と足を踏み入れなかったことを自慢げに話す人でしたので、私のこのこらえ性のない性格は母譲りなのだと思います。

 

 

 

 

 

保育園入所戦争の思い出

息子の幼稚園入園についてはこの間書いたのですが、娘の保育園入園は別の意味で大変でした。 

 

ameamesan.hatenablog.com

 

 第二子出産・育児のため、数年間仕事をお休みしていたのですが、上の子が小学校に入るタイミングで仕事を再開しようか、それなら下の子は保育園に・・・と思ったものの、まぁこのご時世そんなにうまくいくわけないですわよね~、奥さん。

 

まず、「個人事業主(フリーランス)」として社会復帰しようと役所へ入所申し込みに行ったのですが、お役所の方から見ると「個人事業主だったら子どもの世話をしながら仕事できるじゃないですか♪」ということになるのですね。

 

でも新生児ならともかく、目が離せない1歳、2歳の子どもをそばに置いて仕事をするなんて100%無理。3歳以上でも、幼稚園から帰ってきたらどうするの?お客様の大事な書類にヨダレを垂らしたり、落書きをしたりするかもと考えただけで気絶しそうです。

 

「ただでさえ待機児童がたくさんいるのに、アナタ、内職(!)くらいで保育園なんて入れないわよw」と二の腕が太ももくらい太い中年女性担当者にせせら笑われ(忘れもしないぜ!)、仕方なく雇ってもらえるところを探しました。 


とはいえ、小さな子どもがいる人間を雇ってくれる奇特な同業者なんてそう簡単に見つかりません。 

 

途方に暮れていたところ、ちょうど「子持ちのオバさんならお茶くみやゴミ捨て等の雑用も嫌がらずにやってくれるだろうし、客を横取りするようなこともないだろう」という理由で(←これ本当に言われた)雑用係兼事務員として雇ってくれるところが見つかり、はてさて、第一希望ではないにしても通える範囲の保育園になんとか補欠ですべりこみ、無事入園がかなったのです。

 

(おそらく、これでも超激戦区と比べるとまだまだ楽に入所できたのだろうと思います。)

 

もちろん、雑用係として雇ってもらったとはいえ、フリーで仕事をしていては経験することができないような案件に関わらせてもらうこともあったので、勤務経験がまるっきり無駄になったわけではありません。数年間とはいえブランクがあったので、社会復帰の準備に役だった面もあります。ですので結果オーライだったとも言えるのですが・・・



でも、一人でやっていけるスキルがある人間が、個人事業主という立場だと保育園に入れず、雑用係として雇用されたら保育園に入れるって、日本経済全体からみて大損失だと思うんだけどなぁ。



と、役所の人に訴えてもまったく聞く耳を持ってくれなかったので当時はかなり憤ったのですが、今はどうなっているのでしょうね。当時よりは保育園をめぐる状況も改善されているのでしょうか。