『昭和の結婚』とうちの姑
『昭和の結婚』。歴史資料として非常に面白い本。
明治の女性たちは、見合いさえせず、夫となる人の顔も知らないまま、親や親戚の命令で嫁いでいた。祝言を挙げると、次の日からは労働力として牛馬のように働く。
昭和時代にはさすがにそこまでの人権無視は少なくなったものの、封建的な家制度の下、嫁は夫の世話を焼き、舅姑を立ててひたすら尽くすことが当たり前だった。
当時の雑誌等の資料も豊富に掲載されていて、特に『主婦の友』の「花嫁さんの新家庭心得画帳」なんて「良人のお目覚め:お寝坊旦那様を穏やかに親切にお起こしさしあげ」てから「一家の和合と夜の団欒:ふけゆく夜を手持無沙汰にせぬように、良人の語る世間話や主義主張、さては将来に対する抱負など、すべて熱心に聞く、聞き上手な妻であるよう努力いたしましょう」まで一日のスケジュールを掲載して新婚花嫁の心得を説いており、当時の女性はどこまでこれを本気にしてたのかしらと想像するだけで面白い。
で、あ~面白かった!と本を閉じてから、ふと思ったのですよね。
この時代からそんなに時は経っていないのだ、と。
私の姑は、代々家業を営んでいる由緒ある(と本人たちは思っているけれど、特に「由緒」にメリットがあるわけでもない)家に嫁ぎ、完全同居で、舅姑に尽くし、夫を支えて、夫以上に家業に専念してもあくまでも「裏方」扱いで給料をもらえたわけでもなく、という状況で50年以上過ごして来た人なのですよね。
姑は「時代が違うから」と言って私たちに同居を求めたりすることもなく、誰の悪口も言わず、婦人会や老人会で役を務めて近所のお友だちと旅行に行ったり、いろんな手作り常備菜をお裾分けし合ったりと「田舎のオバちゃん」的生活を明るく楽しく謳歌しているように見えるのですが、
半年前、姑の姑(私の配偶者の父方の祖母)が亡くなり、葬儀を終え、斎場から帰って来た時に、ぽつりと
「あの人(姑の姑)と同居して50年、楽しいことも嬉しいことも一つもなかった」
とつぶやいたんですよね。
あの時は背筋が凍りました。
今でこそ誰かが結婚すると聞くと「おめでとう!お幸せに!」と自然と口から出てきますが、一昔前までは、特に女性にとっては、結婚とは悲しく暗い「凱旋なき出征」だったのかもしれないですね。
あ、私の実母ですか?
この人は新婚早々姑とケンカして、それ以来夫の実家に2度と足を踏み入れなかったことを自慢げに話す人でしたので、私のこのこらえ性のない性格は母譲りなのだと思います。